「西の魔女が死んだ」 梨木香歩 新潮文庫
今年映画化されて、ちょっとした評判になっていたので、映画をご覧になった方も多いかと思いますが、私は映画は見ていません。
元々、ジョアンハリスの「ショコラ」や「ブラックベリーワイン」のような物語が好きで、本屋さんのおすすめコーナーにあったこの本を手に取ったのです。
しかし、この現代の日本という国は、なんと生きづらい場所であることか!!それは魔女にとっても同じこと。
本来は、キリスト教の影響が強いフランスのほうが、何かと邪教的な考え方は排斥される対象となる、あるいはそこまでいかなくても、地域社会の中で孤立させられる存在となりやすいのでしょうけど、本当は、八百万の神々が存在し、家の中のあらゆる物に精霊(妖怪)を見出してきたはずの日本のほうが、魔女にとっても住みづらい場所だとは・・・。
主人公まいのパパもママもいいヒトなんだろうけど、後ろに不幸な日本のシステムを背負っている。まいの悩みは私たちの悩みだ。老人であるおばあちゃんは、もう戦うことをしない。まいに戦いの心得を伝えるという役割を果たしている。最後におばあちゃんの魔法で、まいのココロの葛藤が見事に解けるシーンは感動的だが、やはりまいの戦いはこれからも限りなく続くのであって、なんとなく重さを背負わされたまま、物語が終わる感じにはなってしまう。
続編の「渡りの一日」では、ちょっと成長した力強いまいを私たちは見ることができる。まさに「ショコラ」のヴィアンヌのように風の中にすっくと立つことができる女性に向かって、歩き出したまいの姿を見て、私たちは安堵するとともに、この駆け出しの魔女に声援を送りたくなる。そして、それは、悲しみのシステムの中で生き続けなければならない自分への声援にほかならないのであろう。
ショコラのどこか御伽噺のような世界と比べるといささか現実的に過ぎるきらいはあるけれども、ロハスとかそんなことで片付けては、やっぱりいけない。かといってシブリのような安易な汎神論もどうかと思う。そもそも「社会的な生物」という人間の定義自体がややこしいのだから、ややこしい中で毅然として立つしなやかな決意が一番重要なのであろう。
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